昨今は通信技術の発達やさまざまな情報の氾濫で、バンクーバーに居ながらにして日本の出来事や世界の動きを簡単に知ることができますし、また日本にあっても、同様に世界の出来事をすぐに知ることができます。もちろん、バンクーバーにいてもカナダの出来事をほぼリアルタイムで日本語で知ることさえできます。従って、バンクーバーに来られてまだ1年の方でも、すでに20年の歴史のある方でも、日常生活を送る上ではさほど遜色のない情報が手に入っているものと思われます。
しかし一方で、あまりにも簡単に、そしてあまりにも多くの情報が入ってくるために、かえって集中力が低下し、あることを深くゆっくり考えてみるといった機会を失いがちになっているとも言えるのではないかと思います。
去年から今年にかけて、日加修好80周年の関連記念行事がたくさんありました。これはオタワに初めて日本公使館が開設されて以来、80年が過ぎたことを記念したものですが、過去を振り返り資料を紐解けば、多くの先人たちがここバンクーバーで生活し仕事をしてきた足跡を知ることができます。
今、手許に宮城学院女子大学の山形孝夫名誉教授が著された「失われた風景−日系カナダ漁民の記録から−」という本があります。及川甚三郎率いる83名の宮城県出身者が水安丸という船を仕立ててカナダに密航してきた、という事件とその顛末を記録した本です。今からちょうど100年ほど前の出来事です。水安丸は当時軍港であり警備の厳しかったビクトリア港に入ってしまい、全員が当局によって逮捕されてしまいます。それを当時のバンクーバー領事館の書記官であった吉江さんという方の粘り強い交渉で、全員解放という結果を得ます。(この吉江書記官のお孫さんがかつて当企友会の理事をされていて、一緒に仕事をしたことを思い出します。)
その後も水安丸グループは過酷な生活を余儀なくされますが、漁業関連の仕事でがんばりぬきます。このほかにも大勢の日本人移住者たちがここバンクーバーで日々の営みを築いてきました。こうした生活記録を含めた書籍は数多く出版されています。そこには、逆境にあっても決して音をあげなかった人々の姿があり、慣れない土地での生活と仕事に向けた工夫のあとが読み取れます。またこうした書籍に留まらず、かつての日本人街であるパウエルストリートに往時の日本人ビジネスマンの名前を冠したビルディングが残っていたりして、その成功と当時の賑わいを想像することができます。
情報が氾濫している現在、ともするとここが外国であることを忘れてしまうことさえあります。しかし伝統も文化も母国とは異なる外国であることは紛れもない事実です。先人たちの足跡を拾いながら、ここでの生活とここでの仕事について、ゆっくりと捉え返してみる好機ではないでしょうか。これからの、ビジネスを含めた「暮らし」のヒントに必ずや遭遇することがあるだろうと信じます。
企友会元会長 久保 克己

